ナンプレ

ナンプレ パズルの歴史

古代魔方陣から21世紀ルービックキューブへ至るまで

Sudoku history logo

ナンプレ(Sudoku)はかつて世界中でブームを巻き起こし、今日も世界中で最も親しまれているロジックパズルです。言語に関係なく楽しめ、知らず知らずのうちにハマってしまう。 特別なスキルは必要なく、どなたでも楽しめる知的エンタテインメントです。

ピンポイントでナンプレの始まりやオリジナルコンセプトについて述べることは困難ですが、古代の魔方陣(Magic Squares)に由来すると言われています。オンラインマガジン Convergence で魔方陣について書かれた記事 (by Pat Ballew) によると、おそらく魔方陣は18世紀にインドを通じ、中国やアラブ諸国に伝達された可能性が高いとされています。遥か昔の9世紀に親和数の数式で知られるアラビアの天文学者 Thabit ibn Qurra氏により議論されていたようですが、この時代には建設的な方法はまだ見出されていなかったと推定されます。

Wikipedia

ここの記事はWikipedia Sudoku を参考にしています。転用可能なGNU Free Documentation Licenseとして承認されています。

1225年にはAhmed al-Buni 氏がシンプルなボーダリング技法で魔方陣を組み立てる方法を紹介していますが、独自でその方法を発見したとは考え難いと言われています。Camman誌は、モスコプロス事典で説明されている方法はペルシャ起源であった可能性があり、al-Buniによる提唱との関連性を指摘しています。又、同誌は匿名のペルシア語写本を引用し、奇数魔方陣の構築についてモスコプロス事典で説明されている2つの方法は、ペルシャ人に知られていたと主張しています (Garrett Collection no. 1057, プリンストン大学)。仮にそうだとしても、文書には例題が挙げられているものの、明確な方法は書かれていません。

イスラム文学における魔方陣

国立医学図書館のイスラム医療写本によると、イスラム文学における魔方陣(アラブ語:wafq) は、Jabir ibn Hayya氏ついて書かれている The Jabirean Corpus という書物において最初に出現したとしています。 それは、一般的に西暦9世紀~10世紀初めに編集されたとされています。The Jabirean Corpus は魔方陣は出産時の魔よけとして提案していました。正方形の盤面は1~9で構成され、中央には5が配置され、タテヨコ列、各対角線の和は15になるようようにつくられていました。数字はabjad文字で書かれており、4つのコーナーには ba、 dal、 waw (もしくは u)、ha と書かれていました。その後この正方形は buduh と呼ばれるようになりました。

その頃までには魔方陣のコンセプトは有名になり、buduhは魔よけとして浸透していきました。その後、イスラムの作家がより大きいサイズの様々なタイプの魔方陣を開発しました。数字の重複はなく、タテヨコ列、対角線の和はイコールになっていました。4x4、6x6、7x7サイズの魔方陣はこの時点ですでによく知られており、13世紀頃までには10x10がつくられるようになりました。

オンラインマガジンConvergence よりBallew氏の一節によると、魔方陣はヒスパニック系ユダヤ人の哲学者Abraham Ben Meir ibn Ezra氏 (c. 1090-1167) によりスペイン経由でヨーロッパに伝えられたということです。Ben Meir ibn Ezra氏は魔方陣や数字に強い興味を持ち、多くのアラビア作品を翻訳しました。同氏はイタリア全域へ訪れ、ヨーロッパへ魔方陣を広めた重要な人物の一人として知られています。

魔方陣からラテン方格、そしてグレコラテン方格へ

ラテン方格のコンセプトは少なくとも中世には世の中に浸透していました。13世紀のアラビア語の写本では、しばしば初期のラテン方格を特集していたようです。アラビア語でwafq majaziとして知られるラテン方格は、タテヨコに同じセットのシンボルが重複することなく配置されていました。

この一連の流れはスイス人数学者であり物理学者の レオンハルト・オイラー (1707-1783)に引き継がれました。オイラー氏の論文 "De quadratis magicis"のアーカイブに、1776年10月17日に St. Petersburg Academy にて オイラーが9,16,25, 36マスで魔方陣の作成方法を教授したと書かれています。この論文において、オイラーはグレコラテン方格についての研究を始め、結果が魔方陣になるように変数の値に制約を加えたとされています。ラテン方格と呼ばれるようになったのは、大分後になりオイラーが "Recherches sur une nouvelle espece de quarre magique" (新しい種類の魔方陣の研究)と言う意味のタイトルで論文を発表してからのことです。オイラーはラテン文字をマスに配置したものをラテン方格と呼び、ギリシャ文字を使ったものをグレコ-ラテン方格と呼びました。

オイラーは晩年に魔方陣の別の可能性の研究に取り組み、同じ列にシンボルが重複して現れないように2組のnシンボルを組み合わせることによる問題に直面していました。 オイラーはグレコ·ラテン方格においてnが奇数または4の倍数を構築するための方法を証明し、2の次数が存在せず、6の次数のマスを構築できないこと、n ≡ 2 (剰余 4)の場合は何も存在しないと憶測しました。確かに次数6のマスが存在しない事実は1901年にフランスの数学者ガストン・タリーによる、シンボルの可能な配置の徹底列挙により証明されました。

それから58年後の1959年に、アメリカの数学者ボーズ氏とシュリカンデ氏によりオイラーの憶測していた反例をコンピューターの力を借りて発見しました。同年に数学者パーカー氏により次数10の反例が発見されると、1960年には上記3人により全てのnに対してn ≥ 10というオイラーの推測を証明されました。従って、グレゴラテン方格はn=6を除くすべての次数n≥3に存在することが証明されたのです。

ナンプレ (Sudoku) の誕生

ナンプレはラテン方格の特別なケースと言ってもよいでしょう。ナンプレの解答は全てラテン方格です。しかしながら、9x9サイズのナンプレには更に3x3の枠内にも1~9の数字が配置されると言う追加の制限があります。

アメリカのパズル作家 ウィル・ショーツ のリサーチと、Dr Jean-Paul Delahaye の "Scientific American (2006年6月)の The Science of Sudoku" の一節ではアメリカの建築家のハワード・ガーンズがインディアナポリスの建築会社Daggettを退職した後に、最初にナンプレの形をしたパズルを考案したと述べています。ガーンズはオイラーのラテン方格のコンセプトを採用し、1~9の数字が配置された9x9の盤面に適合させました。その盤面には3x3のボックスも含まれていました。 ガーンズによる最初のパズルは1979年5月に Dell Pencil Puzzle and Word Games マガジンに Number Placeという名前で掲載されました。同社では今日もNumber Placeと呼んでいます。 ショーツ氏のリサーチによると、Dellマガジンはガーンズの名前をパズルには表示しませんでしたが、Number Placeが掲載される度にマガジンの貢献者として表紙に名前を記載していたということです。

ガーンズが最初のSudoku作家であったという他の資料もあります。ガーンズについてのWikipediaにある書き込み によると、同じ建設会社に勤めていたGeorge Wileyは、社内の黒板の前にガーンズが座って何か書き込んでいたので何かと訊くと「これはゲームだよ」と答えたと言います。クロスワードのようにも見えましたが、数字が書き込まれていました。彼の近くに寄ると、「これはシークレット!」と言って手で覆い隠したそうです。 もう一人の同僚、Robert Hindmanもガーンズがクロスワードに似たスケッチを持っていたのを見たことがあると言います。傍から見てもわけがわかりませんでしたが、それはガーンズが好んでやっていました。ガーンズは1989年10月6日癌のため亡くなり、インディアナポリスの Crown Hill 墓地に埋葬されています。

このように、ナンプレ(Sudoku)のオリジナルは最初に日本で考案されたものではないと多くの人が信じていますが、Sudokuという名前自体は日本から由来するものです。1984年にパズル制作会社二コリがDellのナンバープレースに出会い、日本のパズルファンに紹介することにしました。このパズルは当初、「数字は独身に限る」と名付けられたちまち有名になりました。

1986年に重要なステップがあります。盤面に与えられるヒント数字の数が減ったことと、対称のパターンが作られたことです。こうしてナンプレ(Sudoku)は日本でベストセラーパズルとなりました。二コリ社社長の鍛冶氏は長すぎる名前を短くし「数独」と名付けました。(「数独」は二コリ社の商標です。日本では一般的にはナンプレと呼ばれています。)現在、日本国内だけでも日々60万問以上のナンプレが様々なメディアで出版されています。

しかしながら、日本でナンプレが有名になった頃、ヨーロッパではほとんど注目されていませんでした。

認知症予防として

2004年の終わり頃、パズルファンだった香港の元裁判官でありコンピュータープログラマーの ウェイン・ゴウルドがイギリスのメディア The Times にSudokuを掲載するように何度か提案していました。ゴウルドは様々な難易度のSudokuをプログラミングしていました。パズルに関しての対価は求めなかったといいます。The Timesは遂に試しに掲載してみようという気になり、2004年11月12日の新聞に最初のSudokuが掲載されました。

London TimesでもSudokuが掲載されると、たちまちイギリス国内、そしてオーストラリア、ニュージーランドのメディアへと広がりました。The Daily Mail(英) で "Codenumber" というサービス名で配信が始まると、2005年5月20日には The Daily Telegraph (シドニー、オーストラリア)でも配信がスタート。同年5月末までには The Daily Telegraphを含め The Independent、The Guardian、The Sun、The Daily Mirror などメジャーなイギリスメディアが続々と掲載・配信を開始しました。

更に同年7月には Channel 4 (英:テレビ局) が 毎日データ放送を開始すると、Sky One (英:テレビ局) は84メートル四方もある世界で最も大きいサイズのSudokuをBristol近郊のChipping Sodburyの丘に描き放映しました。又、The BBC Radio 4's Today (英:ラジオ局) は数字を読み上げてSudoku番組を放送しました。 更には人気番組 Big Brotherで当時出演していたイギリスのセレブ、ジェイド・グッディ や キャロル・ボーダマン を登用したSudoku本が出版され、メンタル的にポジティブな効果について証言されると、イギリスでベストセラーとなりました。イギリス政府が支援するTeachersマガジンまでもSudokuは認知症予防によいとし、推薦しました。

再びマンハッタンへ

2005年、イギリスでブームを巻き起こすとオリジナルのSudokuが New York Post で掲載され、マンハッタンでもブームになりました。7月11日、The Daily News や USA Today で掲載されると、アメリカ全土にもブームをもたらしました。いずれのケースもSudokuは伝統的なクロスワードパズルに対抗するものでした。

2006年には多数のSudokuマガジン、書籍、同好会、チャット、攻略本、コンシューマーゲーム、モバイルゲーム、カードゲーム、カレンダー、卓上ゲーム、販促品からテレビ番組に至るまでSudokuは世の中にすっかり浸透していました。各新聞では毎日問題が掲載され、 メディアは「21世紀のルービックキューブ」と騒ぐほど驚きのスピードで世界に知れ渡り、世界の人々が日々楽しむパズルとなりました。

そして、このSudokuブームはSudokuパズル問題自体をも進化させました。9x9のスタンダードSudokuに加え、盤面サイズが大きいメガサイズのSudoku、対角線上にも数字を配置するSudoku、奇数や偶数を特定のマスに配置するSudoku、3x3Boxの代わりにジグザグの形をしたBoxに1~9を配置するSudoku等、バラエティバージョンが次々登場しました。 そのの中にはSudokuのオリジナルの楽しさをキープしつつ大変洗練されたものも多数あり、オリジナルのSudokuと共に世界のロジックパズルのカテゴリの一部として確立されて行きました。

2006年3月、世界Sudoku選手権大会 (WSC) が世界パズル協会 (WPF) によりイタリアのLuccaで開催されました。大会は2日間行われ、以下内容の45問のSudokuが出題されました。クラシックSudokuミニ Sudoku対角線SudokuジグザグSudokuサムSudokuマルチSudoku奇数偶数Sudoku 他多数バリエーション。優勝はJana Tylova (チェコ共和国出身 エコノミスト31歳)、準優勝はThomas Snyder (米 ハーバード大学大学院出身 26歳)、そして3位はWei-Hwa Huang (米カリフォルニア出身 Google社ソフトウェアエンジニア 26歳)が勝ち取りました。

現在コンセプティス制作のSudokuパズルは、バリエーションも含め、マガジンや書籍、オンライン、モバイルを通して、アメリカ、日本、イギリス、ドイツ、オランダ、カナダ、フランス、ロシア、ポーランド、フィンランド、デンマーク、イスラエル、ハンガリー、オーストリア、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、ギリシャ、スイス、ベルギー、イタリア、オーストラリア、ニュージーランド、チェコ共和国、ブラジル、トルコ、韓国、タイ、ルーマニア、フィリピン、エストニア、ラトビア、ペルーを含む35カ国以上で出版・配信されています。